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ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル (初代) : ウィキペディア日本語版
ラルフ・ネヴィル (初代ウェストモーランド伯)

初代ウェストモーランド伯ラルフ・ドゥ・ネヴィルRalph de Neville, 1st Earl of Westmorland, 1364年頃 - 1425年10月21日)は、14世紀後期から15世紀前期のイングランドの貴族である。父はネヴィル・ドゥ・レビィ男爵ジョン・ドゥ・ネヴィル、母はパーシー男爵ヘンリー・ドゥ・パーシーの娘モード・パーシー。ホットスパーは父方では従弟、母方では従甥に当たる。ヨーク朝の2代のイングランド王エドワード4世リチャード3世外孫にあたる。
イングランドのダラムレビー城で生まれた。1388年、父の後を継いでネヴィル・ドゥ・レビー男爵になり、1397年ウェストモーランド伯に叙爵され、1402年にはヨーク公エドムンド・オブ・ラングリーの死によって空席のできていたガーター騎士団の一員になった。
1399年リチャード2世の従弟のヘンリー・ボリングブロククーデターを起こした時はボルングブロクに寝返り、以降はヘンリー4世に仕え、義理の叔父のノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー・ホットスパー父子の反乱には与せず、1405年ヨーク大司教リチャード・スクループトマス・モウブレー(婿の1人・ノーフォーク公ジョン・モウブレーの兄)の反乱を鎮圧した。1415年7月ではイングランドに残り、ノーサンバーランドでスコットランド軍と戦っている。
1417年にヨーク公リチャードの後見人となり、1424年に娘のセシリー・ネヴィルと婚約させたが翌年に死去。長男のジョン・ネヴィルに先立たれていたため、ウェストモーランド伯位は孫のが継承した。また、別の息子リチャード・ネヴィルは遺産相続と姻戚関係からソールズベリー伯となりネヴィル家は繁栄を迎えた。
== 家族 ==
最初の妻マーガレット・スタフォード(ヒュー・スタフォード卿とフィリッパ・ドゥ・ボーシャンの娘)とは1382年に結婚した。1396年11月29日に2番目の妻ジョウン・ボーフォートジョン・オブ・ゴーントキャサリン・スウィンフォードの娘・ヘンリー4世の異母妹)と結婚した。彼女の父方の祖父母はイングランド国王エドワード3世と王妃フィリッパ・オブ・エノーであった。
マーガレット・スタフォードとの間に9人の子供がいた。
* モード・ネヴィル(? - 1438年10月) - モーレィ男爵ピエール・ドゥ・モーレィと結婚した。
* アリス・ネヴィル - 最初トーマス・グレイ卿と結婚し、次にギルバート・ランカスター卿と結婚した。
* フィリッパ・ネヴィル - ダクレ男爵トーマス・ダクレと結婚した。
* ジョン・ネヴィル(? - 1420年) - ネヴィル卿、ケント伯トマス・ホランドの娘エリザベス・ホランドと結婚。、ネヴィル・ドゥ・レビィ男爵ジョン・ネヴィルの父。
* ラルフ・ネヴィル卿(? - 1458年2月25日) - メアリー・フェラーズ(ロバート・フェラーズ卿の娘)と結婚した。
* エリザベス・ネヴィル - 修道女
* アン・ネヴィル - ギルバート・アンフレヴィル卿と結婚している。
* マーガレット・ネヴィル(? - 1465年) - 最初にスクロープ・オブ・ボルトン男爵リチャード・スクロープと結婚し、次にウィリアム・クレッソナーと結婚した。
* アナスタシア・ネヴィル
ジョウン・ボーフォートとの間には14人の子供がいた。
* レディー・キャサリン・ネヴィル - 1411年1月12日にノーフォーク公ジョン・モウブレーと結婚し、次にトーマス・ストレンジウェイズ卿と結婚。3回目はボーモント子爵ジョン・ボーモントと、4回目はジョン・ウッドヴィル卿(イングランド王妃エリザベス・ウッドヴィル弟)と結婚した。
* レディー・エレノア・ネヴィル(? - 1472年) - 最初ブルクハーシュ男爵リチャード・ル・デスペンサーと結婚し、次にノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーと結婚した。
* リチャード・ネヴィル(1400年 - 1460年) - ソールズベリー伯
* ロバート・ネヴィル(? - 1457年) - ダラム司教
* ウィリアム・ネヴィル(? - 1463年) - ケント伯
* エドワード・ネヴィル(? - 1476年) - バーガベニー男爵、初めウスター伯リチャード・ド・ビーチャム娘エリザベスと結婚、次にジョン・ハワードの妹キャサリンと結婚。
* アン・ネヴィル(1411年頃 - 1480年) - バッキンガム公ハンフリー・スタフォードと結婚、次のマウントジョイ男爵ウォルター・ブロント(1474年没)と結婚。
* セシリー・ネヴィル(1415年 - 1495年) - ヨーク公リチャードと結婚してエドワード4世リチャード3世らを儲けた。
* ジョージ・ネヴィル(? - 1469年) - ラティマー男爵、ウォリック伯リチャード・ド・ビーチャムの娘エリザベスと結婚。
* ジョン・ネヴィル - 早逝。
* カスバート・ネヴィル - 早逝。
* トーマス・ネヴィル - 早逝。
* ヘンリー・ネヴィル - 早逝。
* ジョウン・ネヴィル - 修道女になった。
ネヴィル家はラルフとリチャードの2代で多くの貴族と姻戚関係を結んだが、後の薔薇戦争ではそれぞれが敵味方に分かれ、戦争を繰り返した。子孫の内、エレノア、リチャードとセシリーの子孫がパーシー家、スタンリー家やイングランド王家と結び、現在に至る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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